重要美術品

二字国俊 刀

No.991476

二字国俊 大河内家伝来 本阿弥光勇折紙 精良な地鉄に映り立つ腰反り付く精悍な太刀姿 二尺四寸六分
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極め 二字国俊
登録証 東京都 昭和 53 年 5 月 17 日
寸法 刃長 74.4 cm (二尺四寸六分)・ 1.8 cm ・ 3.0 cm ・ 1.9 cm ・ 2.9 cm ・ 21.1 cm
0.77 cm ・ 0.81 cm ・ 0.53 cm
787 g
山城 時代 鎌倉時代
姿 鎬造、庵棟、身幅広く、反り深く、腰反り・踏ん張り付き、中鋒。
板目肌よく錬れてつみ、杢目肌交じり、地沸微塵に厚くつき、地景細かくよく入り、映り立ち、鉄明るく冴える。
刃文 中直刃、小互の目交じり、小足よく入り、小沸つき、匂口明るい。
帽子 直ぐに小丸。
彫物 表裏に棒樋を掻き流す。
大磨上、先切、鑢目切、目釘孔二。
ハバキ 金着二重。
説明

来国俊は、仁治元年(1240年)生まれ、来国行の子で、年紀怍は鎌倉中期弘安から鎌倉後期の元亨に渡っており、九十余歳で没したと伝える。その前期二字国俊銘は豪壮な姿態に華麗な丁子乱れを焼き、後期来国俊銘は細身の体配に、上品な直刃調の刃文を焼くものが多い。両者の作風が全く違うことから二代説も存在する。来派は、国行を始祖とする一派で、鎌倉後期頃には粟田口派に交代するように、山城を代表する刀工群となった。また、来一門は、国行を始めとして、来国俊、来国光、来国次と一門の直系がいずれも最上作となっている。この刀は、身幅広く、腰反り・踏ん張り付く太刀で、姿が良く、板目肌がよく錬れ、地沸微塵に厚くつき、地景細かく入り、映り立つ精良で美しい肌合を見せ、直刃調に、小互の目交じり、小足よく入り、小沸よくつき、匂口明るく格調高い名品である。重要美術品の名義大河内正敏子爵は、最後の大多喜藩主の長男で、貴族院議員・理化学研究所所長・東京物理学校(現東京理科大)校長などを務め、76に及ぶ理研グループの会社を興すなどしている。本刀は、明和四年九月に十代将軍徳川家治より大多喜藩三代藩主大河内松平正升が家督を継いだ折に拝領したものである。

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