第25回重要刀剣
村正 短刀
No.587480
- 村正 タナゴ腹茎に表裏が揃う典型作 最も上手な二代の傑作 薫山鞘書 八寸三分
- 商談中
銘表 | 村正 |
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登録証 | 大阪府 平成 28 年 1 月 27 日 |
寸法 | 刃長
25.0 cm ( 八寸三分)・
・ 2.8 cm
・ 9.0 cm
5.50 cm 151 g |
国 | 伊勢 時代 室町後期 |
姿 | 平造、庵棟、僅かに反りつく。 |
鍛 | 板目肌つみ、杢目交り、地沸微塵につき、鉄冴える。 |
刃文 | 山形ののたれに、互の目・尖刃交じり、足入り、小沸つき、金筋・砂流し掛り、匂口明るい。 |
帽子 | 直ぐに小丸、深く返る。 |
茎 | 生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔一。 |
ハバキ | 金着一重。 |
説明 | 村正が徳川家に祟る刀といわれた所以について、徳川将軍家の公式記録である「徳川実紀」によると、家康の祖父松平清康が天文四年(1535年)に家臣に村正の刀で斬られた事に始まり、父広忠が乱心した家臣に村正の脇指で刺され、信長から内通の嫌疑をかけられ、切腹に追い込まれた家康の長男信康を介錯した刀も村正であり、また、家康自身も信長の甥長孝の戦功報告を受けた際に、村正の槍を検分中に手に怪我を負ったりと、凶事がいくつも重なったとあり、村正は徳川家に祟る妖刀として一般に広く認知されるようになった。初代村正は、美濃赤坂兼村或いは関兼春の門で、美濃から伊勢国桑名の地に移住したと伝わり、初代村正の現存する最も古い年紀が文亀元年(1501年)で、以後代の継承がみられ、天文頃の村正が二代、天正頃の村正を三代としている。この刀は、タナゴ腹茎に、表裏の揃う刃文となる典型作で出来が良い。最も上手な二代の傑作である。 |

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