特別保存刀剣
康継 刀
No.007961
- 刀 葵紋 康継以南蛮鉄於武州江戸作之 身幅3.3cm地刃明るく冴える健全最高傑作 二尺五寸一分
銘表 | 葵紋 康継以南蛮鉄於武州江戸作之 |
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登録証 | 山口県 昭和 26 年 3 月 31 日 |
寸法 | 刃長
76.2 cm (二尺五寸一分)・
1.1 cm
・ 3.3 cm
・ 2.2 cm
・ 3.7 cm
・ 22.5 cm
0.74 cm ・ 0.74 cm ・ 0.59 cm 899 g |
国 | 武蔵 時代 江戸時代前期 |
姿 | 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや浅く、中鋒やや延びる。 |
鍛 | 板目肌に、小杢目肌交じり、地沸微塵に厚くつき、地景細かくよく入り、肌立ち、鉄冴える。 |
刃文 | 互の目に、丁子交じり、足太くよく入り、沸深くよくつき、金筋砂流し細かくかかり、匂深く、匂口明るく冴える。 |
帽子 | 直ぐに小丸、深く返る。 |
茎 | 生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔一。 |
ハバキ | ハバキは、金着二重。 |
説明 | 越前康継は、徳川将軍家及び越前松平家に抱えられた刀工で、通称葵下坂と呼ばれ、初二代ともに新刀最上作に列する。古上作の写しを得意とし、大名家伝来の正宗、貞宗、信国には康継の作と思われるものが多くあるという。初代康継は、近江国坂田郡下坂郷の出身で、美濃赤坂千手院広長の子と伝え、名を下坂市左衛門と称し、文禄年間に肥後大掾を受領、慶長六年(1601年)に越前入りした結城秀康より四十石の扶持を受けた。初期は越前下坂と銘し、慶長十一年頃に徳川家康及び秀忠により召し出され、鍛刀した際にその技量を認められ、家康の康の一字と葵紋を切ることを許され康継と改め、将軍家御用鍛治となり五十人扶を受ける。以後二代までは、隔年江戸と越前にて打つという。江戸三代康継は、二代康継の嫡子で、名を右馬助という。彼が十七歳の時に父が没し、初代康継の三男である四郎右衛門との間に相続争いが起こったが、江戸を右馬助が、叔父四郎右衛門が越前を相続することで決着し、以後下坂家は江戸と越前に分かれて作刀している。この刀は、二尺五寸一分の長さに身幅3.3cm重量900gに迫り、反りやや浅い、寛文新刀の姿で、地沸微塵に厚くつき、地景細かくよく入り、肌立った美しい地鉄に、互の目に丁子刃交じり、足太く入り、沸深くよくつき、匂深く、匂口明るく冴え、頗る健全な最高傑作である。山口510号の毛利家伝来と思われる名品である。 |

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