特別保存刀剣 

奥州住兼定 之定 十一代 刀

No.393916

十一代 奥州住兼定 之定 十一代 代作代銘 土方歳三愛刀 金筋幾重にも頻りに掛る傑作 二尺三寸
ご成約
銘表 奥州住兼定
登録証 岐阜県 昭和 28 年 7 月 24 日
寸法 刃長 69.7 cm (二尺三寸)・ 1.5 cm ・ 3.0 cm ・ 2.0 cm ・ 3.4 cm ・ 20.1 cm
0.67 cm ・ 0.73 cm ・ 0.48 cm
746 g
会津 時代 江戸時代末期
姿 鎬造、庵棟、身幅広く、反り尋常、中鋒。
杢目肌つみ、板目肌交り、地沸微塵に厚くつき、地景入り、鉄明るく冴える。
刃文 互の目に、丁子刃・尖刃交じり、飛び焼き頻りに掛り、足・葉よく入り、小沸よくつき、金筋砂流し幾重にも頻りに掛り、匂口明るい
帽子 乱れ込んで小丸、先掃き掛る。
生ぶ、先入山形、鑢目筋違、目釘孔一。
ハバキ 金着二重。
説明

鎬造、庵棟、身幅広く、反り尋常、中鋒。鍛は、杢目肌つみ、板目肌交り、地沸微塵に厚くつき、地景入り、鉄明るく冴える。刃紋は、互の目に、丁子刃・尖刃交じり、飛び焼き頻りに掛り、足・葉よく入り、小沸よくつき、金筋砂流し幾重にも頻りに掛り、匂口明るい。帽子は、乱れ込んで小丸、先掃き掛る。茎は、生ぶ、先入山形、鑢目筋違、目釘孔一、ハバキは、金着二重。<br>

会津兼定は、室町後期永正頃、和泉守兼定の孫清右衛門兼定が、会津に移り幕末にかけて会津藩工として栄えた。十一代兼定は、天保8年に十代兼定の子として生れ、十四歳から父について鍛刀を学び、文久三年まで兼元を銘し、文久四年より和泉守を受領し兼定を名乗った。十代は晩年殆ど自身銘を切らず、十一代の代作代銘が多い。明治36年没。この刀は、身幅広く、反り尋常となる均整の取れた姿で、杢目肌がよくつみ、地沸微塵に厚くつき、明るく冴えた美しい地鉄に、互の目に、丁子・尖刃など交え、足・葉よく入り、小沸よくつき、金筋幾重にも頻りに掛るなど刃中よく働き、匂口明るい十一代兼定代作代銘の傑作である。

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