保存刀剣

No.621298

刀 村正 箱乱れ地刃冴え渡る健全最高傑作 寒山鞘書 時代拵付 二尺一寸一分
ご成約
極め 村正
登録証 大阪府 平成 26 年 4 月 28 日
寸法 刃長 64.0 cm (二尺一寸一分)・ 1.3 cm ・ 2.8 cm ・ 1.9 cm ・ 3.4 cm ・ 18.9 cm
0.53 cm ・ 0.60 cm ・ 0.45 cm
521 g
伊勢 時代 室町中期
姿 鎬造、庵棟、身幅尋常、反りやや浅く、中鋒延びる。
鍛は、板目肌に、流れ肌交じり、地沸厚く付き、淡く映りたち、鉄冴える。
刃文 のたれに、箱型の刃・互の目・尖刃など交じり、足太く入り、沸よくつき、粗沸を交え、金筋・沸筋頻りにかかり、匂深く、匂口明るく冴える。
帽子 乱れ込んで先掃きかけて返る。
磨上、先切、鑢目切、目釘孔三内一埋。
ハバキ 金着一重。

茶石目地塗腰千段刻鞘打刀拵 [江戸時代]

法量 

長さ93.3cm 反り3.2cm

説明

鐔 銘 後藤光乗 花押 赤銅魚子地波竜図

縁頭 銘 菊岡光利 花押 鉄地竜図

目貫 赤銅二匹獅子図金色絵

説明

村正が徳川家に祟る刀といわれた所以について、徳川将軍家の公式記録である「徳川実紀」によると、家康の祖父松平清康が天文四年(1535年)に家臣に村正の刀で斬られた事に始まり、父広忠が乱心した家臣に村正の脇指で刺され、信長から内通の嫌疑をかけられ、切腹に追い込まれた家康の長男信康を介錯した刀も村正であり、また、家康自身も信長の甥長孝の戦功報告を受けた際に、村正の槍を検分中に手に怪我を負ったりと、凶事がいくつも重なったとあり、村正は徳川家に祟る妖刀として一般に広く認知されるようになった。初代村正は、美濃赤坂兼村或いは関兼春の門で、美濃から伊勢国桑名の地に移住したと伝わり、初代村正の現存する最も古い年紀が文亀元年(1501年)で、以後代の継承がみられ、天文頃の村正が二代、天正頃の村正を三代としている。この刀は、柾目交じりの板目肌がよく錬れて、淡く映りが立ち、地沸微塵に厚くつき冴えた地鉄に、箱刃に互の目・尖刃などを交え、沸よくつき、金筋砂流し頻りにかかり、匂口明るく冴える。研ぎの状態もよく、目立つ傷欠点なく頗る健全で、美しく沸つき、金筋砂流し頻りにかかり、地刃冴え渡る箱乱れの最高傑作である。

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