特別保存刀剣

No.869617

刀 水心子正秀 天明八年二月日 全長113cm華やかに乱れる最高傑作 朱漆塗刻鞘拵付 二尺八寸八分
ご成約
銘表 秋元臣川部儀八郎藤原正秀作 花押
銘裏 天明八年二月日
登録証 長崎県 昭和 45 年 9 月 21 日
寸法 刃長 87.3 cm (二尺八寸八分)・ 1.0 cm ・ 3.1 cm ・ 2.1 cm ・ 3.4 cm ・ 26.6 cm
0.72 cm ・ 0.74 cm ・ 0.46 cm
905 g
武蔵 時代 江戸時代後期
姿 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや浅く、中鋒。
小板目肌つみ、地沸厚くつき、地景細かく入り、鉄明るく冴える。
刃文 直ぐ調に焼き出し、大互の目に、互の目交じり、濤欄風に乱れ、足太くよく入り、沸深くよくつき、粗沸を交え、砂流し・沸筋掛り、匂深く、匂口明るく冴える。
帽子 直ぐに先掃きかけて尖ごころに返る。
生ぶ、先刃上栗尻、鑢目筋違化粧、目釘孔二。
ハバキ 金着一重。

朱漆塗刻鞘拵 [江戸時代]

長さ 122.5cm      反り 2.5cm

鐔 真鍮地 、 縁頭 赤銅魚子地金色絵。 目貫 赤銅弓矢図金色絵。作刀時に作られた生ぶ拵で、頗る健全である。

説明

水心子正秀は、寛延三年羽州上杉領で生まれ、名を川部儀八郎といい、初め武州下原吉英に師事し宅英と銘する。安永三年山形秋元家の藩工となり、川部儀八郎正秀と改め、水心子と号した。作刀は安永から文政まで50年ほどに及び、初期の天明・寛政・享和の頃は大阪新刀を理想として助広風の濤欄乱あるいは真改風の直刃調の刃を焼き、晩年には、復古論を唱え、復古刀の実践者として、相州・備前・美濃の各伝を試みているが、初期の大阪新刀を理想として作刀したものに優作を見る。文政八年七十六歳で没。特筆されるのは、その技術を十数冊の本にして公開したことで、門弟も直胤を初めとして百余人を数える。この刀は、天明八年 正秀41歳の作で、身幅広く、長さ二尺八寸八分もある長大で豪壮な姿となり、奉納刀であったと思われ、生ぶのまま残された希少なもので、沸匂深く、大小の沸が美しく輝き、地刃冴え渡り、助広をも凌駕する濤欄風の乱を見事に焼いた正秀の最高傑作である。

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