特別保存刀剣
越前康継 脇差
No.049237
- 脇差 以南蛮鉄越前康継 最上作 金筋砂流し幾重にも掛り地刃明るく冴える健全最高傑作
銘表 | 葵紋 以南蛮鉄越前康継 |
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登録証 | 岡山県 平成 15 年 9 月 3 日 |
寸法 | 刃長
42.2 cm (一尺三寸九分)・
1.0 cm
・ 3.1 cm
・ 2.6 cm
・ 6.7 cm
・ 13.5 cm
0.54 cm ・ 0.70 cm ・ 0.58 cm 423 g |
国 | 越前 時代 江戸時代前期 |
姿 | 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや浅く、大鋒。 |
鍛 | 板目肌に、杢目肌交じり、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、鉄明るく冴える。 |
刃文 | のたれに、互の目交じり、湯走り飛び焼き掛かり、縞掛かり、足よく入り、沸深くよくつき、金筋砂流し幾重にも頻りに掛かり、匂深く、匂口明るく冴える。 |
帽子 | 乱れ込んで小丸、先掃きかける。 |
茎 | 生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔二。 |
ハバキ | 金着一重。 |
説明 | 越前康継は、徳川将軍家及び越前松平家に抱えられた刀工で、通称葵下坂と呼ばれ、初二代ともに新刀最上作に列する。古上作の写しを得意とし、大名家伝来の正宗、貞宗、信国には康継の作と思われるものが多くあるという。初代康継は、近江国坂田郡下坂郷の出身で、美濃赤坂千手院広長の子と伝え、名を下坂市左衛門と称し、文禄年間に肥後大掾を受領、慶長六年(1601年)に越前入りした結城秀康より四十石の扶持を受けた。初期は越前下坂と銘し、慶長十一年頃に徳川家康及び秀忠により召し出され、鍛刀した際にその技量を認められ、家康の康の一字と葵紋を切ることを許され康継と改め、将軍家御用鍛治となり五十人扶を受ける。以後二代までは、隔年江戸と越前にて打つという。二代康継は、初代康継の嫡子で、名を市之丞という。将軍秀忠に江戸詰を命ぜられ、神田紺屋町に住す。越前松平家に於いても二百四十石を受け、隔年出府するという。正保三年没。この刀は、身幅広く、大鋒となる丹精な姿で、板目に杢目よく交え、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、明るく冴えた美しい地鉄に、のたれに、互の目交じり、湯走り飛び焼き掛かり、縞掛かり、足よく入り、沸深くよくつき、金筋砂流し幾重にも頻りに掛かり、匂深く、匂口明るく冴える。頗る健全な最高傑作である。 |

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