特別保存刀剣
康継 脇差
No.080064
- 康継以南蛮鉄 於武州江戸作之 玉焼き掛り地刃冴える名品 一尺五寸一分
銘表 | 康継以南蛮鉄 |
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銘裏 | 於武州江戸作之 |
登録証 | 秋田県 昭和 44 年 6 月 24 日 |
寸法 | 刃長
45.8 cm (一尺五寸一分)・
0.9 cm
・ 3.0 cm
・ 2.2 cm
・ 3.2 cm
・ 14.0 cm
0.58 cm ・ 0.69 cm ・ 0.46 cm 445 g |
国 | 武蔵 時代 江戸時代初期 |
姿 | 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや浅く、中鋒詰まりごころ。 |
鍛 | 板目肌に、杢目肌交じり、棟寄り流れ肌交じり、地沸微塵に厚くつき、地景入り、肌立ち、鉄冴える。 |
刃文 | 互の目に、玉焼き・箱形の刃・小互の目・丁子刃交じり、足・葉太くよく入り、沸よくつき、金筋砂流し掛り、匂口明るく冴える。 |
帽子 | 直ぐに小丸、深く返る。 |
茎 | 生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔一。 |
ハバキ | 上貝銅下貝金色絵二重。 |
説明 | 越前康継は、徳川将軍家及び越前松平家に抱えられた刀工で、通称葵下坂と呼ばれ、初二代ともに新刀最上作に列する。古上作の写しを得意とし、大名家伝来の正宗、貞宗、信国には康継の作と思われるものが多くあるという。初代康継は、近江国坂田郡下坂郷の出身で、美濃赤坂千手院広長の子と伝え、名を下坂市左衛門と称し、文禄年間に肥後大掾を受領、慶長六年(1601年)に越前入りした結城秀康より四十石の扶持を受けた。初期は越前下坂と銘し、慶長十一年頃に徳川家康及び秀忠により召し出され、鍛刀した際にその技量を認められ、家康の康の一字と葵紋を切ることを許され康継と改め、将軍家御用鍛治となり五十人扶を受ける。以後二代までは、隔年江戸と越前にて打つという。江戸三代康継は、二代康継の嫡子で、名を右馬助という。彼が十七歳の時に父が没し、初代康継の三男である四郎右衛門との間に相続争いが起こったが、江戸を右馬助が、叔父四郎右衛門が越前を相続することで決着し、以後下坂家は江戸と越前に分かれて作刀している。この刀は、反りやや浅く鋒詰まりごころとなる寛文新刀の姿で、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、肌立った地鉄に、互の目に、玉焼き・箱形の刃・小互の目・丁子刃交じるなど変化に富み、足・葉太くよく入り、沸よくつき、金筋砂流し掛り、匂口明るく冴える。地刃冴え、頗る健全な名品である。 |

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