特別保存刀剣 

正秀 脇差

No.502651

水心子正秀 天明二年八月日 金筋稲妻光り地刃明るく冴える傑作 一尺五寸九分
銘表 水心子正秀
銘裏 天明二年八月日
登録証 山形県 昭和 32 年 7 月 18 日
寸法 刃長 48.3 cm (一尺五寸九分)・ 0.9 cm ・ 2.9 cm ・ 2.0 cm ・ 3.2 cm ・ 14.6 cm
0.54 cm ・ 0.61 cm ・ 0.48 cm
419 g
武蔵 時代 江戸時代後期
姿 鎬造、庵棟、身幅尋常、反りやや浅く、中鋒延びる。
小板目肌つみ、流れ肌交じり、地沸微塵につき、鉄冴える。
刃文 直刃調に、のたれて、互の目交じり、湯走り・二十刃掛り、小足太くよく入り、小沸よくつき、金筋・稲妻頻りに掛り、匂深く、匂口明るく冴える。
帽子 乱れ込んで小丸。
茎は生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一。
ハバキ 金着一重。
説明

水心子正秀は、寛延三年羽州上杉領で生まれ、名を川部儀八郎といい、初め武州下原吉英に師事し宅英と銘する。安永三年山形秋元家の藩工となり、川部儀八郎正秀と改め、水心子と号した。作刀は安永から文政まで50年ほどに及び、初期の天明・寛政・享和の頃は大阪新刀を理想として助広風の濤欄乱あるいは真改風の直刃調の刃を焼き、晩年には、復古論を唱え、復古刀の実践者として、相州・備前・美濃の各伝を試みているが、初期の大阪新刀を理想として作刀したものに優作を見る。文政八年七十六歳で没。特筆されるのは、その技術を十数冊の本にして公開したことで、門弟も直胤を初めとして百余人を数える。この刀は、地沸微塵に厚くつく美しい地鉄に、 沸匂深く、金筋・稲妻頻りに掛るなど刃中の働き盛んで、地刃明るく冴えて出来が良い。

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