特別保存刀剣

国貞 脇差

No.625772

和泉守藤原国貞 倶利伽羅同作彫見事 身幅3.3cm重要候補傑作 時代拵付 一尺二寸八分
ご成約
銘表 和泉守藤原国貞
登録証 高知県 昭和 26 年 6 月 28 日
寸法 刃長 38.8 cm ()・ 1.2 cm ・ 3.3 cm ・ 12.9 cm
0.68 cm
377 g
摂津 時代 江戸時代初期
姿 平造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、反りやや深く、ふくら付く。
板目肌に、杢目肌交じり、地沸厚く付き、地景入り、鉄明るく冴える。
刃文 互の目に、丁子刃・尖刃など交え、足・葉よく入り、沸よくつき、沸筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える。
帽子 乱れ込んで、先尖って深く返る。
彫物 表樋中倶利伽羅、裏梵字に二筋樋を彫る。
生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一。
ハバキ 金着二重。

銀無垢金具金牡丹塗鞘小刀拵 [江戸時代]

法量

長さ 102.3cm 反り 4.2cm

説明

鐔 鉄地武者図透、 縁頭 銘 藻柄子入道宗典製 赤銅魚子地金色絵。 目貫 赤銅二匹獅子図容彫金色絵。

説明

初代和泉守国貞は、天正十七年(1589年)に日向で生まれ、後に上京し親戚と伝わる堀川国広の門となるが、国貞の初期の作風や銘振りから見て、兄弟子である越後守国儔から指導を受けたと思われる。慶長十九年(1614年)国貞二十五歳の時に師である国広が亡くなり、その後同門である初代河内守国助と共に大坂へ移住し大阪新刀の礎を築き、元和九年(1623年)に和泉守を受領している。初二代共に和泉守国貞と銘を切ることから、初代国貞を通称親国貞、二代国貞を真改国貞と呼んでいる。また親国貞は、一竿子忠綱と並び彫物の名手として知られている。慶安五年六十三歳没。この刀は、3.3cmと身幅広く、反り深く、堂々とした豪壮な姿で、地沸厚くつき、地景入り冴え渡る地鉄に、焼き幅広い互の目に、丁子刃・尖刃・箱掛かった刃など交え、華やかに乱れ、沸よく付き、粗めの沸を交え、沸筋・砂流しよく入り、匂口明るく冴え渡り、覇気溢れる最高傑作である。倶利伽羅の彫物は、親国貞の自身彫となる見事なものである。

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