特別保存刀剣
初代 忠吉 脇差
No.759821
- 初代 肥前国住忠吉作 最上作 愛知大名登録 湯走り頻りに掛り覇気溢れ地刃冴える傑作 一尺九寸一分
- ¥1,500,000(税込)
銘表 | 肥前国住忠吉作 |
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登録証 | 愛知県 昭和 28 年 4 月 28 日 |
寸法 | 刃長
57.5 cm (一尺九寸一分)・
1.4 cm
・ 3.0 cm
・ 2.2 cm
・ 3.8 cm
・ 14.3 cm
0.60 cm ・ 0.70 cm ・ 0.50 cm 582 g |
国 | 肥前 時代 江戸時代初期 |
姿 | 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや深く、中鋒やや延びる。 |
鍛 | 小杢目肌つみ、杢目肌交じり、地沸微塵につき、地景細かく頻りに入り、鉄冴える |
刃文 | 直刃調に、小乱れ交じり、湯走り・飛び焼き頻りに掛り、足・葉よく入り、小沸深くよくつき、沸筋・砂流し掛り、匂深く、匂口明るく冴える。 |
帽子 | 頻りに掃き掛けて小丸。 |
茎 | 生ぶ、先栗尻、鑢目切、目釘孔二。 |
ハバキ | 金着二重。 |
説明 | 初代忠吉は、新刀期を代表する刀工で、名を橋本新左衛門と称した。橋本家は、龍造寺氏に仕える武士であったが、祖父の盛弘と父の道弘は天正12年島原での沖田畷の戦いの際に討死し、忠吉はまだ13歳であったため、家は断絶した。このため一家は刀匠に転身し、十二年後の慶長元年に藩命により一門の宗長と共に、京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。同三年帰国し、佐賀城下に住して鍋島家の庇護のもと大いに栄えた。寛永元年に、武蔵大掾を受領、忠吉の名を土佐守に譲り、自らは忠広と改めている。寛永九年没。この刀は、名振りから元和頃と思われる作で、この時期は忠吉の生涯で最も充実し優れたものが多い時代である。身幅広く、先幅も広く、長さも一尺九寸の大脇差で、小杢目肌つみ、杢目交じり、地沸微塵に付き、地景細かく入り、冴えた美しい地鉄に、直刃調に小乱れ交じり、湯走り・飛び焼き頻りに掛り、足・葉よく入り、小沸深くよくつき、匂深く、匂口明るく冴え、覇気溢れ、出来が良い。頗る健全で、茎も綺麗で、銘は鏨枕残る。 |

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