短刀 村正 二代傑作短刀 重要候補 タナゴ腹茎 精良な地鉄に足葉入り金筋砂流し頻りに掛る 田野辺先生鞘書 金無垢ハバキ 七寸四分
特別保存刀剣

村正 短刀

No.124849

短刀 村正 二代傑作短刀 重要候補 タナゴ腹茎 精良な地鉄に足葉入り金筋砂流し頻りに掛る 田野辺先生鞘書 金無垢ハバキ 七寸四分

Hold

Mei-Omote
村正
Registration
Shimane 5/8/26(Showa)
Period
室町後期天文頃
Size

Hachou 22.5cm ( 七寸四分) Sori 0.1cm
Moto-Haba 2.2cm Moto-Kasane 0.50cm Nakago-Chou 9.3cm Weight 108g

Country
伊勢
Shape
平造、三ツ棟、僅かに反りつく。
Kitae
板目肌つみ、流れ肌交り、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、映り立ち、鉄明るく冴える。
Hamon
浅くのたれて、小互の目交じり、足・葉入り、小沸つき、金筋・砂流し掛り、匂口明るい。
Boushi
直ぐに小丸、先掃きかけて、深く返る。
Nakago
生ぶ、先入山形、鑢目勝手下り、目釘孔二内一埋。
Habaki
金無垢二重。
Carving
表に「七難即滅」裏に「七福即生」の法語を彫る。
Drscription
村正が徳川家に祟る刀といわれた所以について、徳川将軍家の公式記録である「徳川実紀」によると、家康の祖父松平清康が天文四年(1535年)に家臣に村正の刀で斬られた事に始まり、父広忠が乱心した家臣に村正の脇指で刺され、信長から内通の嫌疑をかけられ、切腹に追い込まれた家康の長男信康を介錯した刀も村正であり、また、家康自身も信長の甥長孝の戦功報告を受けた際に、村正の槍を検分中に手に怪我を負ったりと、凶事がいくつも重なったとあり、村正は徳川家に祟る妖刀として一般に広く認知されるようになった。初代村正は、美濃赤坂兼村或いは関兼春の門で、美濃から伊勢国桑名の地に移住したと伝わり、初代村正の現存する最も古い年紀が文亀元年(1501年)で、以後代の継承がみられ、天文頃の村正が二代、天正頃の村正を三代としている。この刀は、細身で小振りの品の良い短刀で、タナゴ腹茎に、二代の典型的は銘字を切り、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、映り立つ明るく冴え精良な地鉄に、浅くのたれて、小互の目交じり、足・葉頻りに入り、小沸深くつき、金筋砂流し頻りに掛り、匂口明るい最も上手な二代の傑作である。
村正 短刀 特別保存刀剣