特別保存刀剣 特別保存刀剣
手掻包利 刀 手掻包利 刀
No.756044手掻包利 兼永子 播州酒井雅楽頭家伝来 淡く映り立ち地刃冴え小足金筋頻りに掛る超健全名品 重要候補 二尺二寸五分手掻包利 兼永子 播州酒井雅楽頭家伝来 淡く映り立ち地刃冴え小足金筋頻りに掛る超健全名品 重要候補 二尺二寸五分
商談中Hold
- 極めKiwame
- 手掻包利手掻包利
- 登録証Registration
- 東京都 Tokyo 昭和26年3月7日 3/7/26(Showa)
- 時代Period
- 南北朝時代南北朝時代
- 法量Size
-
刃長 68.1cm (二尺二寸五分) 反り 1.5cm
元幅 3.0cm 先幅 2.1cm 元重 0.58cm 鎬厚 0.75cm 先重 0.56cm 鋒長 3.1cm 茎長 19.5cm 重量 757gHachou 68.1cm (二尺二寸五分) Sori 1.5cm
Moto-Haba 3.0cm Saki-Haba 2.1cm Moto-Kasane 0.58cm Shinogi-Thikess 0.75cm Saki-Kasane 0.56cm Kissaki-Chou 3.1cm Nakago-Chou 19.5cm Weight 757g - 国Country
- 大和大和
- 姿Shape
- 鎬造、庵棟、身幅広く、鎬高く、反りやや深く、腰反り付き、中鋒。鎬造、庵棟、身幅広く、鎬高く、反りやや深く、腰反り付き、中鋒。
- 鍛Kitae
- 板目肌つみ、杢目交じり、刃寄り棟寄り柾掛かり、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、淡く映り立ち、鉄冴える。板目肌つみ、杢目交じり、刃寄り棟寄り柾掛かり、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、淡く映り立ち、鉄冴える。
- 刃文Hamon
- 直刃調に、僅かに小互の目交じり、ほつれ・食い違い掛り、小足・葉頻りに入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るい。直刃調に、僅かに小互の目交じり、ほつれ・食い違い掛り、小足・葉頻りに入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るい。
- 帽子Boushi
- 乱れ込んで小丸。乱れ込んで小丸。
- 茎Nakago
- 大磨上、先栗尻、鑢目切、目釘孔3個。大磨上、先栗尻、鑢目切、目釘孔3個。
- ハバキHabaki
- 上貝金無垢下貝金着二重。上貝金無垢下貝金着二重。
- 説明Drscription
- 手掻派は東大寺に隷属した刀工集団で、東大寺転害門の門前に住していたことから、手掻(てがい)と呼称されるようになった。鎌倉後期正応(1288)頃の包永を祖とすると伝え、正宗十哲の兼氏も手掻派に属したといわれている。包利は、初代包永の前銘とも伝え、南北朝の包利は、包永の子で後包永に改めたとも云われている。この刀は、身幅広く、先幅も広く、腰反りつく精悍な姿で、地沸が厚くつき冴えた地鉄に、淡く映り立ち、直刃調に、僅かに小互の目交じり、ほつれ・食い違いなど掛り、小足よく入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るく冴える頗る健全な傑作である。姫路酒井家伝来で、江戸時代の鞘書には、姉川合戦の軍功として信長から家康に贈られたもので、延宝八年十一月に将軍綱吉より大老酒井忠清が拝領したと書かれている。徳川実紀にも延宝八年十一月に綱吉より忠清が刀を拝領した記載がある。昭和十六年発行の酒井家譲状が残り、同年本阿弥光遜により鞘書・折紙が書かれている。手掻派は東大寺に隷属した刀工集団で、東大寺転害門の門前に住していたことから、手掻(てがい)と呼称されるようになった。鎌倉後期正応(1288)頃の包永を祖とすると伝え、正宗十哲の兼氏も手掻派に属したといわれている。包利は、初代包永の前銘とも伝え、南北朝の包利は、包永の子で後包永に改めたとも云われている。この刀は、身幅広く、先幅も広く、腰反りつく精悍な姿で、地沸が厚くつき冴えた地鉄に、淡く映り立ち、直刃調に、僅かに小互の目交じり、ほつれ・食い違いなど掛り、小足よく入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るく冴える頗る健全な傑作である。姫路酒井家伝来で、江戸時代の鞘書には、姉川合戦の軍功として信長から家康に贈られたもので、延宝八年十一月に将軍綱吉より大老酒井忠清が拝領したと書かれている。徳川実紀にも延宝八年十一月に綱吉より忠清が刀を拝領した記載がある。昭和十六年発行の酒井家譲状が残り、同年本阿弥光遜により鞘書・折紙が書かれている。