脇差 繁慶 新刀最上作 沸明るく輝き金筋砂流し頻りに掛り沸匂深く明るく冴える傑作 一尺六寸五分
特別保存刀剣

繁慶 脇差

No.554964

脇差 繁慶 新刀最上作 沸明るく輝き金筋砂流し頻りに掛り沸匂深く明るく冴える傑作 一尺六寸五分

Hold

Mei-Omote
繁慶
Registration
Okayama 5/24/3(Heisei)
Period
江戸初期寛永頃
Size

Hachou 50.0cm (一尺六寸五分) Sori 0.6cm
Moto-Haba 2.8cm Saki-Haba 2.1cm Moto-Kasane 0.56cm Shinogi-Thikess 0.63cm Saki-Kasane 0.50cm Kissaki-Chou 3.2cm Nakago-Chou 8.7cm Weight 464g

Country
武蔵
Shape
鎬造、三ツ棟、身幅尋常、反りやや浅く、中鋒。
Kitae
板目肌に、柾目肌交じり、地沸厚くつき、地景入り、鉄冴える。
Hamon
のたれて、互の目に、交じり、湯走り・飛び焼き頻りに掛かり、足・葉よく入り、沸深くつき、金筋・沸筋・砂流し幾重にも頻りに掛かり、匂深く、匂口明るく冴える。
Boushi
金筋掛り、匂深く頻りに掃きかけ焼き詰めごころ。
Nakago
生ぶ、先薬研形、鑢目表大筋違・裏逆大筋違、目釘孔一。
Habaki
金着一重。
Drscription
繁慶は、通称を野田善四郎清堯といい、生国は三河で、鉄砲鍛冶を家業とし、家康に付き従い江戸へ上り、日本橋鉄砲町居住の鉄砲師胝(あかがり)宗八郎に師事し、さらに鉄砲師としての腕を磨いた。その後、隠居した家康と共に駿府へ移り、この時に刀を造り始めたと云われ、家康没後は、再び鉄砲町へ戻り、二代将軍秀忠に仕え、刀は繁慶銘で鉄砲は清堯銘で鍛造している。初代康継とほぼ時代を同じくし、江戸鍛冶の先駆者である。新刀最上作。この刀は、三つ棟となり、茎は薬研形に鑢が表大筋違・裏逆大筋違、銘は太鏨の繁慶独特のもので、板目に・柾目肌交じり、輝く地沸が厚くつき、のたれて、互の目交じり、湯走り・飛び焼き・二十刃など頻りに掛り、沸深くよくつき、大小の沸が明るく輝き、金筋・沸筋・砂流し幾重にも頻りにかかり、刃中の見事に働き、匂深く、覇気溢れ、匂口明るく冴える傑作である。
 繁慶 脇差 特別保存刀剣