特別保存刀剣

来国俊 脇差

No.197914

脇差 来国俊 重要候補 乱れ映り鮮やかに立つ精良な地鉄に金筋長く掛り匂口明るく冴える傑作 一尺七寸
ご成約
極め 来国俊
登録証 岐阜県 昭和 44 年 6 月 4 日
寸法 刃長 51.5 cm (一尺七寸)・ 0.8 cm ・ 2.6 cm ・ 2.0 cm ・ 2.8 cm ・ 14.7 cm
0.48 cm ・ 0.60 cm ・ 0.43 cm
369 g
山城 時代 鎌倉時代
姿 鎬造、庵棟、身幅やや狭く、反りやや浅く、腰反りつき、中鋒詰まる。
小板目肌よく錬れてつみ、板目肌交じり、地沸厚くつき、乱れ映り立ち、鉄明るく冴える。
刃文 直刃調に、浅くのたれて、小足・葉よく入り、湯走り掛り、小沸深くつき、金筋長く頻りに掛り、匂口明るく冴える。
帽子 直ぐに小丸。彫物は、表裏に棒樋を掻き通す。
大磨上、先栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔一。
ハバキ 金色絵二重。
説明

来国俊は、仁治元年(1240年)生まれ、来国行の子で、年紀作は鎌倉中期弘安から鎌倉後期の元亨に渡っており、九十余歳で没したと伝える。その前期二字国俊銘は豪壮な姿態に華麗な丁子乱れを焼き、後期来国俊銘は細身の体配に、上品な直刃調の刃文を焼くものが多い。来派は、国行を始祖とする一派で、鎌倉後期頃には粟田口派に交代するように、山城を代表する刀工群となった。また、来一門は、国行を始めとして、来国俊、来国光、来国次と一門の直系がいずれも最上作となっている。この刀は、猪首風に鋒詰まった体配の元々は70cm程の太刀で、小板目肌がよく錬れ、地沸厚くつき、地景細かく頻りに入り、乱れ映りが鮮やかに立つ精良で美しい地鉄に、小足・葉よく入り、小沸深くよくつき、金筋長く掛るなど刃中よく働き、匂口明るく冴える傑作である

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