重要刀剣 

二字国俊 脇差

No.337806

小太刀 二字国俊 重要候補 互の目丁子華やかに乱れ金筋頻りに掛る最高傑作 一尺八寸一分
ご成約
極め 二字国俊
登録証 富山県 昭和 49 年 6 月 17 日
寸法 刃長 54.8 cm (一尺八寸一分)・ 1.4 cm ・ 3.0 cm ・ 2.0 cm ・ 3.0 cm ・ 15.1 cm
0.56 cm ・ 0.64 cm ・ 0.43 cm
445 g
山城 時代 鎌倉時代
姿 鎬造、庵棟、身幅広く、反りやや深く、腰反り付き、中鋒。
板目肌に、木目・流れ肌交り、地沸微塵につく。
刃文 互の目に、丁子刃交り、足・葉頻りに入り、小沸深くつき、金筋・砂流し幾重にも頻りに掛り、匂口明るく冴える。
帽子 乱れ込んで小丸。
彫物 指し表棒樋に添樋を丸止め、指し裏棒樋に添樋を掻き流す。
大磨上、先切、鑢目切、目釘孔一。
ハバキ 金着二重。
説明

来国俊は、仁治元年(1240年)生まれ、来国行の子で、年紀作は鎌倉中期弘安から鎌倉後期の元亨に渡っており、九十余歳で没したと伝える。その前期二字国俊銘は豪壮な姿態に華麗な丁子乱れを焼き、後期来国俊銘は細身の体配に、上品な直刃調の刃文を焼くものが多い。両者の作風が全く違うことから二代説も存在する。来派は、国行を始祖とする一派で、鎌倉後期頃には粟田口派に交代するように、山城を代表する刀工群となった。また、来一門は、国行を始めとして、来国俊、来国光、来国次と一門の直系がいずれも最上作となっている。この刀は、身幅広く、腰反り付く小太刀で、板目肌がよく錬れ、杢目・流れ肌交り、地沸微塵につく美しい地鉄に、丁子乱れに、互の目交り、華やかに乱れ、足・葉頻りに入り、小沸深く付き、金筋・砂流し頻りに掛り、匂口明るく冴える最高傑作である。茎には、額銘の跡があり、国構えが確認できる。

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