特別保存刀剣

来国俊 脇差

No.633799

脇差 来国俊 重要候補 沸匂深く乱れ映り立ち華やかに丁子乱れる最高傑作 時代黒蝋色塗拵付 一尺五寸四分
ご成約
極め 来国俊
登録証 岐阜県 昭和 58 年 10 月 21 日
寸法 刃長 46.6 cm (一尺五寸四分)・ 1.6 cm ・ 2.7 cm ・ 2.0 cm ・ 3.2 cm ・ 13.8 cm
0.58 cm ・ 0.60 cm ・ 0.42 cm
366 g
山城 時代 鎌倉時代
姿 鎬造、庵棟、身幅尋常、反り深く、中鋒。
板目肌に、杢目交じり、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、乱れ映り立つ。
刃文 のたれて、互の目に丁子刃交じり、湯走り・飛び焼き頻りに掛り、足・葉頻りに入り、小沸深くよくつき、金筋頻りに掛り、匂深く、匂口明るく冴える。
大磨上、先切、鑢目切、目釘孔二内一埋。
ハバキ 金着二重。

黒蝋色塗鞘拵[江戸時代]

法量

長さ66.0cm 反り2.6cm<

説明

鐔 鉄地金象嵌。 縁頭 赤銅魚子地家紋散金色絵。 目貫 美濃 金無垢秋草図。 小柄 赤銅魚子地獅子図金据紋。

説明

来派は、国行を始祖とする一派で、鎌倉後期頃には粟田口派に交代するように、山城を代表する刀工群となった。来国俊は、来国行の子と伝え、所謂二字国俊と来国俊三字銘のものがあるが、両者の制作年代を合わせると弘安元年から元亨元年まで四十年間、また古剣書には九十余歳まで生きたとの記載があり、同一人物であったと思われる。しかし両者の作風にはかなりの相違があり、豪壮な体配に華麗な丁子乱れを得意とする二字国俊に対し、来国俊は、上品な直刃調の刃文のものが多く、作風的な面での区分はある程度可能である。また二字国俊には短刀が僅かに一口しか存在しないが、来国俊には数多くの短刀の遺例が見られる。来一門は、国行を始めとして、来国俊、来国光、来国次と一門の直系がいずれも最上作となっている。この刀は、反り深く、先幅広く、猪首風となる小太刀で、板目肌に、杢目交じり、地沸つき地景入り、乱れ映りが立つ美しい地鉄に、互の目に、丁子刃・湯走り・飛び焼きなど交じる華やかな刃を焼き、足・葉よく入り、小沸深くよくつき、金筋・砂流し掛り、匂深く、匂口明るく冴える最高傑作である。

来国俊 脇差 特別保存刀剣
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