しかし、現存する刀で刀工銘が切られた最も古い正真確実な作は平安末期まで下り、年紀に至っては現在確認されている正真確実な作は鎌倉期以後にしかみられません。
では、下記でよく本や証書などで頻出する代表的な銘の種類について触れさせて頂きます。
🔹表銘 |
表側に切った銘を「表銘」といい、主に刀工の名前を切ることが多いです。これに生国や居住地、さらに時代が下がると受領名を切り添えたものもあります。
表は、必ず茎の外側になります。
太刀は刃を下にして腰に佩き、刀は刃を上にして腰に差(指)すので太刀表(或いは佩表)と刀表(或いは差表)は必然的に真逆になります。
太刀銘(たちめい) |
平安末期から室町初期頃までに製作された長物のほとんどは太刀銘に切っています。例外として豊後国行平や古青江派などの作は太刀でも佩裏に銘を切ります。
新刀期以後の製作で太刀銘を切った長物は、ほぼ全てが古刀期の写し物か復元作です。
刀銘(かたなめい) |
室町期以降に製作された長物や脇差、ほぼ全ての短刀は刃を上にして差すので、刀表に銘を切ります。殊に江戸期以降は刀銘が一般的ですが、例外として肥前の忠吉一門、越前の山城守国清などは基本的に差裏に銘を切ります。復古刀を提唱した新々刀の水心子正秀の一門にも太刀銘に切られた作がしばしば見受けられます。
🔹裏銘 |
裏側に切った銘を「裏銘」といいます。主に製作年紀を切ってあることが多いですが、時代が下ると「截断銘」や「所持銘」などが切り添えたものも見られます。
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🔹在銘と無銘
日本刀の茎に鏨で切られたものが銘ですが、現状に近い状態で銘が残っているものを「在銘」または「有銘」といいます。
そして、初めから銘を切っていないもの、磨り上げなど後世に仕立て直された結果によって銘を失ったものを「無銘」と呼びます。この場合、どちらも「無銘」ではありますが、前者を「生無銘(うぶむめい)」後者を「摺り上げ無銘」と呼び分けています。
本阿弥家では両者を明確に分け、前者は極めを「朱銘」で書き、後者には極めを「金象嵌銘」でいれます。
朱銘
朱銘は、本阿弥家の規定では生茎の無銘に極めを朱漆で書いたものです。つまり元々無銘だった刀にのみ入っているものですね。オリジナルが無銘であるため、茎を傷めないように漆で書いてあるのですが、象嵌と違って書いてあるだけなので、当然素手で触れていると剥落します。ですので、古い時代の朱銘はほとんどが剥落して読めなくなっていることが多いです。
また、ただ書いてあるだけなので偽極めも多いです。
象嵌銘
金もしくは銀で象嵌した銘です。稲荷山から出土した鉄剣にも施されていたように、技術自体は古くからございますが、刀剣類に象嵌銘を施すことが多く見られるようになるのは安土桃山以降だと思われます。それ以降は、極めを入れたり、所持銘を入れたり、号を入れたり、截断銘を入れたりと様々な使われ方をしています。
無銘
おそらく最も多く存在する銘です。
よく「やっぱり無銘だと価値がないですよね」とお客様から質問されることがございますが、南北朝以前と室町以降では状況が大きく異なります。
南北朝以前に作られた刀には、無銘であっても国宝に指定された作がございます。事実、金象嵌銘を含めると国宝に指定された刀の内、約四分の一が無銘です。
一方、室町以降の無銘の場合には国宝どころか日刀保の特別保存の鑑定書も付きません(今後審査規定が変更になる可能性はございます)どんなに良い刀で良い極めが付いても日刀保の規定では保存刀剣止まりなのです。
したがって、質問の回答としては「南北朝期よりも以前に製作された刀の場合には減点にはならないですよ、元々在銘作も少ない時代ですので。もちろん在銘である方が加点対象となります。逆に室町以降に作られた刀であれば無銘であることは減点対象となります。元々在銘作が多い時代である為です。加えて在銘が基本となっている江戸期以降に作られた刀であればかなり金額的な価値は下がります」となります。
偽銘
絵画やブランド物でもそうですが、有名になると需要が供給を上回るために、商品の価格が高くなり、必然的に偽物が出回るようになります。刀も同様で、著名工の作ほど偽物が多いです(不思議なことに何故か銘鑑にも掲載されていないような無名工の作にも偽銘がございます)
特に斯界で有名な格言として「虎徹を見たら偽物と思え」という言葉が広く知られています。虎徹の所持者として広く知られる新撰組の近藤勇が虎徹を購入しようとした際に、同じく新選組の土方歳三が「やめときな、偽物に決まっているよ」といったという話が伝わっています。虎徹の活躍時期と彼らの活躍時期には約二百年の開きがございますが、当時どれほど虎徹の偽物が出回っていたかがこのエピソードからも伝わってきます。
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刀工銘
最も代表的な銘です、単に銘といえばこれを指します。
但し、内容は細かく分かれており、単に刀工銘のみを切った「二字銘」、これに「作」や「造」を加えた「三字銘」、あとは「備前国」や「備州」などの国名や「長船」などの村名を加えたもの、「和泉守」や「山城守」などの受領銘を加えたもの、「与三左衛門尉」「源兵衛尉」などの俗名を切ったもの、「虎徹」や「用恵」などの入道銘を加えたもの、「源」や「平」など姓を加えたものなどそのバリエーションは多岐にわたります。
年紀
その刀が作られた年の年号を切ったものです。昭和以前には六十年を越える年号がなかったので、「天保庚子(天保十一年)」というように年数ではなく「干支(或いは十干十二支)」で切ったものも多いです。また、南北朝期のみは、北朝年紀と南朝年紀が両方みられるので、どの刀工がどちらの陣営に属していたかを察することができるため非常に興味深いです(本人たちは命がけですが)
例えば、北朝派の足利尊氏から禄を受けたと伝わる長船兼光を始めとした長船鍛冶は北朝年紀を切りますし、南朝派の菊池一族に仕えたと伝わる肥後延寿派は南朝年紀を切ります。他には筑前の左一門は北朝年紀、同じく筑前の金剛兵衛盛高は南朝年紀です。この様に、年紀からも刀工にも注文主である武士の意向が密接に関わっていた事実が浮かび上がり、当時の世相が伝わってきます。
截断銘 |
所謂試し斬り銘です。
よく「さいだんめい」と誤読されますが、正しくは「せつだんめい」です。
「この刀はどれくらい切れるのであろうか」について興味のある注文主からの意向で、試し家と呼ばれる人達が罪人の死体を重ねて斬り、重ねた死体の数や切れ方、部位などで「二つ胴截断」「三つ胴落」などと銘を切ります。中には「上腋毛中二下三 三つ胴落(三つ体を重ねて切り、一番上の体は腋毛、真ん中は二の胴、一番下は三の胴の部分が切れました」と詳細に截断部位について言及している刀もございます。
当然、戦争時にはわざわざ試す必要はないので、必然的に多くみられるのは大きな戦争のなかった江戸期以降になります。試し斬りというと「えっ」という感覚になると思いますが、現在に例えると自分の愛車の性能を試したいので、プロのドライバーにドライビングコースで走ってもらう感覚に近いと思います。したがって、試し斬りはプロの試し家に結構なお金を払ってわざわざ斬ってもらうので数に限りもあり(そもそも罪人の数にも限りがございます)江戸期の中でも罪人が多かった江戸初期には比較的截断銘が多く見られますが、江戸中期以降はかなり少ないです(新々刀期の固山宗次の様な例外もございます)
所持銘
多くの場合、その刀を所持した人が、「この刀は儂の持ち物じゃ」というのを誇示したくて入れさせたものです。所持者がわざわざ誇りたくなるほどの刀なので、必然的に古名刀が多いです。国宝だけでも所持銘の入ったものが「名物生駒光忠」などの五口あります。他には、刀剣乱舞などのゲームでもおなじみの「にっかり青江」や「宗三左文字」新刀期以後だと「山姥切国広」などが広く知られています。
注文銘
古刀期にも神社仏閣への奉納刀にはございますが、基本的にほとんどの注文銘は新刀以降の作に見られます。その刀工の後援者の名前が入っていることが多く、代表的なところでは初代越前康継の有力な後援者本多飛騨守成重などが挙げられます。